きっかけはある日の出来事から
ある日、友人がわたしの部屋に、ある「美術作品」を持ってやってきました。それはアレックス・グレイが描いた「Purple Jesus」(1987年)という作品をブロッターアートとして額装したものでした。わたしはまったくの無心論者で、儀式としての葬儀仏教を経験し、あるいは理論としての唯識を学び、社会科学の一環としてマックス・ウェーバーやエミール・デュルケームを下敷きとした宗教社会学の講義を聴いていた程度でしたが、この作品に描かれたキリストのイメージとブロッターアートを額に入れるというアイデアに驚き、そして同時に魅了されました。
この出来事がきっかけとなり、今日までブロッターアートがわたしの心を捉えて離さないものになるとは思いもしませんでした。その時以来、わたしは、希少でありながら文化的に重要な芸術様式となっている「ブロッターアート」を世界中から探し続けています。
ブロッターアートの形式の定着
ブロッターアートという形式の起こりは、1960年代半ばに米FDA、FBIがLSDを取り締まっていたことに起因しています。LSDに対する米政府の厳しい対応は、当時起こっていたカウンターカルチャー革命への直接的な反応であり、それはLSDによって育まれた部分とも言えました。それから半世紀を経たいまでも、LSDは違法とされています。
しかし、政府の思惑とは裏腹に、LSDの存在は隠しきれないものとなっていました。サンフランシスコ・ベイエリアを中心としたカウンターカルチャーはますます盛んになり、シンプルなものから複雑なものまで、何百種類ものデザインが施されたブロッター・アシッドが、すぐに世界中に広がりディーラーによって販売されるようになりました。LSDをはじめとするサイケデリクスは、1960年代から70年代にかけて、有名無名問わずミュージシャンに大きな影響を与えました。いまでも、ブロッターアートにその時代の人気グループのオマージュが反映されることがあるのは偶然ではありません。
いま、YouTubeやSpotifyで当時の音楽を聴いても、LSDの影響は否定できません。LSDは目に見えないバンドメンバーとして活躍しており、グレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン、ピンク・フロイドなどの音楽にLSDが影響を与えていたことは明らかだと言われています。
1980年代にはサイケデリクスの使用はやや減少しましたが、1990年代初頭に復活し、フィッシュ、ワイドスプレッド・パニックなどの新鮮なアシッド・ロックが爆発的にヒットしました。轟音のフィードバックをバックに、疎外感や解放感を歌い上げる若者の声が、再び大きくなり始めたのです。アシッドロック・ルネッサンスと同時に、エレクトロニック・ダンス・ミュージックやサイケデリック・トランス、アシッドハウスを含んだイギリスを中心として起こったレイヴ・カルチャーの中にもサイケデリックなシーンが生まれていました。あらゆる種類の音楽の創造性をLSDが後押ししたと言っても嘘にはならないでしょう。
ミュージシャンだけでなく、芸術家、俳優、知識人など、LSDに魅了された人は数え切れないほどいます。LSDを世に広めたことで、ティモシー・リアリーは一躍有名になりました。リアリーは、彼をモチーフにしたブロッターアート作品で何度も表彰されています。しかし、1938年にLSDを発明した化学者であるアルバート・ホフマンほど、ブロッターアートに登場する人物はいません。
マーク・マクラウドのブロッターアートの世の中への認知の功績
過去と現在、両方の時代をまたぐブロッターアートの歴史のなかで重要な人物は、ブロッターアートの蒐集家でありアーティストのマーク・マクラウドという人物です。1980年代後半、マクラウドがブロッター・アートを芸術の名の下に公開したところ、政府当局の怒りを買うことになりました。額装されたグラフィックデザインであるブロッターアートは芸術作品ではなく違法薬物の残骸であると法廷で主張し、LSDが含まれていなかったにもかかわらず、FBIはマクラウドを2度にわたって追及しました。
しかしその裁判で、マクラウドは2回とも勝訴し無罪となり、ブロッターアートは合法的な芸術であることを世に示し、その制作と収集を世の中に認めさせることに成功しました。
2021. blotterart.jp