blotterart.jpよりご挨拶
日本で初めてのブロッターアート専門サイトとして、2010年からコレクションを開始し、2018年から販売を続けていたblotterart.jpがこの度サイトを設けることとなりました。
このタイミングは、ブロッターアート界を牽引してきた世界の立役者の一人と急に連絡が取れなくなり、その彼が急逝してしまったことと重なります。
コレクターズアイテムとしてのブロッターアート
ブロッターアートは、応用芸術の一つとも言えます。現在、ブロッターアートは、他の多くのポップアートと同様に、コレクターズアイテムとしての価値と独立したカテゴリーを獲得しています。またオルタナティブなアート作品として、世界中のアート愛好家に提供されています。それは、もはやかつてのような違法な商品パッケージではなく、独立した一つのアート形式なのです。
出自とその歴史
LSD(アシッドとも呼ばれます)がまだ合法だった1960年代には、錠剤として販売されていました。英語圏では、その特殊な形状からLSDの錠剤は「バレル」と呼ばれていました。また、その溶液はビスケットや角砂糖などあらゆるものに混ぜて売られていました。やがて、ディーラーの間で、LSDを自分でラベル付けして売りたいという要望が生まれました。自分たちの商品を顧客に認識できるようにするために、彼らはさまざまな方法でラベルを付けました。LSDの錠剤は、他のディーラーが作ったものと区別できるよう特定の形や色で製造され、特に効果が強い場合には、それが目印となりました。また、この手法で与えられたトレードマークは、偽造品や粗悪品でない、本物であることの保証にもなっていました。
重さによる処罰から生まれた
1960年代半ばから警察がLSDやその他の麻薬の捜査を強化した後、裁判所は麻薬の売買や乱用を行った者を犯罪者として裁き、適切な判決を下す方法を模索する必要がありました。判決の重さは、所持している物質の合計の重さに応じて決められました。1グラムの角砂糖に含まれた微量(マイクログラム単位)のLSDで逮捕された使用者は、1グラムの純粋なLSD結晶を所持して逮捕された場合と同じ刑罰を受けることになります。そこで何か軽いーつまり紙のような-媒体でLSDを配布し、逮捕された場合の罪の重さを軽減することが必要とされました。
パッケージアート
1970年代初頭、サンフランシスコの街角で、無地のブロッターに含まれたLSDが出回るようになりました。すぐに、特別なデザインのブロッターが登場しはじめます。このアートは、生産者が販売するLSDとそれが含まれる紙であるブロッターに、トレードマークや個人によるロゴを持たせる機会を与えました。ロゴは、プロが作ったものでも、ゴム印で印をつけただけのものでもよかったのです。アイコニックなイメージとサイケデリックな色や模様が組み合わされたものがよく使われました。加えて、販売者は、刺激的なデザインとカラフルなアシッドのマークを見て、顧客にちょっとした興奮を味わってもらいたいと考えたのです。また、その印刷用に使われたブロッターペーパーは、他の保存方法に比べて重さがはるかに少ないものでした。
現在のブロッターアート
青春時代にLSDで遊び、フラワー・チルドレンとして生活していた多くの人々が、今では高給を取る職に就き、ブロッターアートにノスタルジックな記憶を呼び起こさせ、違法な刺激を使わずに子供の頃を再び「トリップ=旅」することができるようになりました。
あなたも何ら違法性のない、この世界中で愛されているブロッターアートの世界を覗いてみませんか?
これから幻覚剤に手を出して法に抵触することで人生を無駄にするより、このアートを通じてアルバート・ホフマン博士の「1943年自転車の日」モチーフのブロッターシートや、MDMAを合成した愛の化学者アレキサンダー・サーシャ・シュルギン博士を支えたセラピストとして現在も存命のアン・シュルギン夫人のサインの入ったブロッターアートを集めることで、その思想に触れ、人生が豊かなものになることを自らにとっても、あなたにとっても祈念しています。